2018.05.21 Monday

『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』元気に生きようと思える温かい映画

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    本作はラブ・アクチュアリーの監督であるリチャード・カーティスが製作した映画である。

     

    主人公であるティムは冴えない青年で、両親と伯父、妹のキットカットと一緒に暮らしている。

    ニューイヤーパーティでは新年を迎えた瞬間に、周りの人々がみな異性とキスをして喜び合うなかで

    ティムだけは近くにいた女性に触れることもできず、居心地の悪そうな顔をして立ち尽くしていた

     

    21歳の誕生日、ティムは父親に呼び出され、大切な話があると打ち明けられる。

    その内容は、我が家の男子は全員特殊な能力を持っている、というものだった。

    父親自身も、祖父も、そしてティムもタイムトラベル能力を持っていると言うのである。

     

    暗い場所に閉じこもって両手で握り拳を作って、過去の戻りたい場所を強く念じれば

    その時に戻れるという。ちなみに、タイムトラベルできるのは過去だけで未来には行けない、とのこと。

    父親にからかわれていると感じたティムは、全く信じようとしないが、一度試してみるように諭され

    ニューイヤーパーティの日に戻ろうとする。

     

    すると、なんと父親の言ったとおりに過去に戻ることに成功した

    ティムは今度こそ新年を迎えた瞬間に隣にいた女の子にキスをすることに成功する。

    女の子も満足げな表情でティムにお礼を言っており、素晴らしい気分でパーティを終えることができた。

     

    現在に戻って、父親のもとに駆けつけたティムは興奮気味に成功したことを話す。

    父親はこの力を有効に使うように言うが、お金を得たいというティムをたしなめ、もっと有意義に使え

    と諭す。それを聞いたティムはこの力で愛を手に入れたいと思う、と伝え父親は大いに賛成する。

     

    ティムは妹キットカットの恋人であるジミーの妹、シャーロットが夏休みの間遊びに来ていた時に

    恋をしていたのだが、何もできないまま終わっていた。夏休みをやり直したいと考えたティムは

    過去に戻って、シャーロットとの仲を深めようとするのだが、なかなか思い切れず、とうとう

    シャーロットが帰ってしまう最終日を迎えてしまう。

     

    ティムは勇気を振り絞ってシャーロットに告白するが、タイミングが最悪だと言われてしまう。

    「なぜこんなに長い夏休みの間に全く言ってくれなかったの」と言われたティムはまた過去に遡って

    夏休み中盤に告白をするが、今度は「最終日に言って欲しかったわ」と言われてしまう。

     

    落胆したティムはタイムトラベル能力で愛を手に入れることはできないと悟り、ロンドンに住む

    父親の友人である脚本家ハリーのもとで下宿し、弁護士として仕事を始めた。

    しかし、法曹界にいるのは男ばかりでティムに春が訪れる日は遠いように感じられた・・

     

    ある日、ティムは悪友のジェイと暗闇で食事をするというレストランに出かけ、そこで出会った

    メアリーと話が弾んで意気投合する。ティムは外で会ってみたいと話し、メアリーはそれを受け入れる。

    外で顔を合わせてみるとメアリーはとても可愛い女性だった。連絡先を交換し、また会うことを約束する

     

    ティムが家に帰ると、ハリーがとても不機嫌な様子で待っていた。今日は自身が脚本を書いた舞台の初日

    だったが、役者がクライマックスで台詞を忘れてしまったため、最高の脚本が台無しになってしまったと

    嘆いていた。ティムはタイムトラベル能力を使い、舞台を見に行って役者に忠告することで劇を成功に

    導いた

     

    しかし、ティムは携帯電話を見て、メアリーの連絡先が無いことに気づく

    タイムトラベルしたことでその日出会うはずだったメアリーと出会わなかったことになって

    しまっていたのだ。

     

    メアリーと話した時に、彼女がケイト・モスの大ファンだという話を聞いていたティムは

    妹のキットカットと共にケイト・モスの展示会に出かけ、そこでメアリーを見つけて興奮のあまり

    初対面であることを忘れて話しかける。

     

    かなり怪しまれるが、妹の協力を得て、運良く展示会を一緒に回ることに成功する。

    しかし、食事を取る際にメアリーには彼氏がいることが判明する。二人が友人のパーティで

    出会ったことを強引に聞き出し、ティムは二人が出会った時にタイムトラベルで先回りし、

    彼氏となるはずだった男より前にメアリーと出会ってパーティから連れ出すことに成功する

     

    その後二人はとても良い雰囲気でティムはメアリーを車まで送って行くことになるが

    道中でメアリーは車は家の前に置いてきたことを明かす。そして、メアリーの家に着いた二人は

    とうとう結ばれることになる。

    ちなみにティムはこの二人が結ばれた初夜を二度もやり直しており、合計三度も経験している

     

    二人はその後も順調に仲を深めていき、同棲するようになる。同棲している家に急遽

    メアリーの両親が訪ねてくるなどのハプニングもありつつ、無事に顔合わせも済ませることができた。

     

    そんなある日、ティムはメアリーを演劇に誘うが、好みではないと断られたため

    ティムはジェイと演劇を鑑賞しに出かける。そこでシャーロットと偶然の再会を果たす。

    彼女から積極的に言い寄られたティムはシャーロットの部屋の前まで行くが

    大切な用事がある、と言って断り、メアリーが待つ家に帰る

     

    そして、その勢いのまま寝ぼけ眼のメアリーにプロポーズをするが、さすがに寝ている時に

    プロポーズは良くないとたしなめられ、タイムトラベルしてやり直すことにする。

     

    今度はムーディな音楽をかけてしっとりとプロポーズをする。今度は無事にOKを貰い、

    メアリーは「サプライズじゃなくて良かったわ」と話す。

    ティムは「もちろんだよ、じゃあラジオを止めてくるね」と言いながら裏で生演奏をしていた

    バンドをこっそりと帰してしまう

     

    ティムは家族にメアリーのことを紹介し、二人は無事結婚式を挙げる。

    結婚式の際のスピーチがイマイチだと感じたティムは何度もスピーチを頼む人を変えるために

    タイムトラベルを繰り返すが、最後は父に頼むことにし、内容に満足するが、なんと今度は

    父がスピーチに納得いかなかったと言ってスピーチをやり直すために過去に戻る

     

    二人の間には娘ポージーが生まれ、幸せな生活を送っていた。

    そんな時、ポージーの1歳の誕生日の日にキットカットは酒酔い運転で事故を起こし

    大怪我を負ってしまった。酒酔い運転の原因は前日の恋人ジミーとの喧嘩だという。

     

    キットカットとジミーの関係は望ましいものではないと考えたティムは

    キットカットと共にジミーが出会う前にタイムトラベルし、二人の出会いを無かったことにする。

    現在に戻ると、ジミーの恋人はなんとジェイになっていた。

     

    しかし、家に戻ってポージーに会いに行くと、なんと子供がポージーとは違う子供になっていた。

    急いで父に相談すると、子供が生まれる前にタイムトラベルすると子供が変わってしまうため

    子供が生まれる前にはタイムトラベルできない、と話す。

     

    そのため、キットカットが事故に遭うことは避けられないが、ティムはなんとか彼女の人生を

    良い方に持って行こうと骨を折り、とうとうジェイとキットカットが付き合うことになった。

    さらに、ティムとメアリーの間にも二人目の子供が誕生する。

     

    何もかも上手くいったように見えたが、ティムの父が末期の癌に侵されていることが判明する

    父は過去に戻ってもどうにもならない、と話す。「煙草が原因だが、母は私の煙草を吸う姿が

    セクシーだといって惚れてくれたのさ」と言う。

    「今でも過去に戻れば何度も家族と過ごすことができる。」と続け、悲しまないように告げる。

     

    父は最後に能力を使う二つの秘訣をティムに伝えた。

    父は毎日を普通に過ごすこと、そして毎日をもう一度同じようにやり直すことを勧めた。

    そうすると、始めはわからなかったことが見えてきて、日々の大切さを噛み締められるように

    なるという。

     

    父の葬式が終わり、しばらく経ったころ、メアリーは三人目の子供が欲しいとティムに話す。

    ティムは新しく子供が生まれてしまうと、もうそれ以上過去に戻れず、父に会えなくなるため

    メアリーの提案に思い悩むが、とうとう子供を作ることを決意する。

     

    そして、最後に父と会うためにタイムトラベルに出かける。

    父といつもの卓球勝負をした後、ティムの雰囲気から察した父は「これが最後なんだな」と言う。

    ティムはそれに応え、「最後に何かして欲しいことはないか」と訪ねる。

     

    父は「ティムが子供の頃に戻って、もう一度二人で海辺を散歩したい」と話す。

    二人は未来を変えないように注意しながら過去をなぞるように二人で海辺を散歩をしながら

    最後の時間を過ごす。

     

    その後、三人目の子供が生まれたティムとメアリーは日々を幸せに過ごしていた。

    そして、ティムは父親から教わった能力を使う二つの秘訣のさらに先の三つ目の秘訣を見つけた。

     

    それは、能力を使わないことだった。

    毎日を能力によって戻ってきた二回目の今日だと思って、一度きりの一日を大切に過ごすことで、

    さらに日常の素晴らしさに気づくことができるというのだ。

     

    〜感想〜

    ラブ・アクチュアリーと同じくリチャード・カーティスが監督脚本ということで、映画全体の

    完成度は言うまでもない。元気がない時や辛い時に何度も見返すような素敵な映画だと思う。

     

    ジャンルとしてはSF恋愛映画になると思われるが、タイムトラベル能力はあくまで小道具に過ぎず

    映画の中でもギャグシーンのような場面で使われていることが多い。

    特にメアリーとの最初のベッドシーンを何度もやり直す下りは非常にコミカルで面白い。

     

    だが、そういった印象すらも伏線と言ってもいいのか、最後にはタイムトラベル能力を使わないこと

    こそが最も幸せであるという真理に辿り着くことができる。

    実際にメアリーとの出会いもタイムトラベルによって失われたものを取り戻すために能力を

    使っただけなので、始めから能力を全く使わなかったとしても二人の間の結果は同じであろう。

     

    役者や役柄の印象としてはメアリー役の女優レイチェル・マクアダムスが本当にキュートな演技を

    見せてくれていた。また、ティムもパッとしないがとても誠実で優しい人柄が良く描かれていて

    二人の幸せを応援したくなる気分になる。

     

    特にあまり仲が良いとは言えない関係の同居人の脚本家のために過去をやり直したことで

    メアリーとの出会いが失われたにも関わらずその過去をやり直そうとはせず、自力でもう一度

    メアリーと出会おうとしたところなどは非常に印象的だった

     

    この映画は、ありきたりな感想になってしまうが、笑って泣けて、明日から前向きに生きていこう

    と思える素晴らしい娯楽としての珠玉のエンターテイメントだった。

     

    2018.05.18 Friday

    『オーケストラ!』はちゃめちゃオーケストラが巻き起こす奇跡

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      本作は2009年公開のオーケストラをテーマに描いたフランス映画である。

       

      かつてはロシア・ボリショイ交響楽団で天才指揮者を勤めていたアンドレイだが

      ある事件以降、楽団の清掃員として働いている。本作はそのアンドレイが

      ボリショイ楽団宛に、パリにあるシャトレ座からFAXで来た公演依頼を盗み見たことから始まる。

       

      アンドレイはそのFAXを隠匿し、ボリショイ交響楽団に成りすましてシャトレ座で公演すること

      思いつき、かつての仲間であるサーシャに相談を持ちかける。

       

      なお、ある事件とは、楽団からユダヤ人を排斥しようとする共産党の動きがあり

      それに対してアンドレイは優秀な楽団員が失われることを危惧し、抗議の意味を込めて

      チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の公演を強行しようとする

       

      しかし、その時に当時楽団のマネージャーであった熱心な共産党員であるイワンは

      演奏中に割って入り、最高のハーモニーを途中で中断させてしまう

      その後、楽団員は散り散りになってしまい、皆の心に影を落とすことになった。

       

      アンドレイが楽団員を集めるために、イワンに相談を持ちかけるべきだ、と言ったが

      サーシャは「過去のことを忘れたのか!」と猛反対する。

      だが、アンドレイは彼は最高のマネージャーだ、と言って強引に相談に行く。

       

      サーシャとイワンは一触即発の状態で交渉は難航すると思われたが

      イワンは公演がパリで行われると聞き、なんと二つ返事でOKする

      裏があるのではないかと疑うアンドレイとサーシャだったが、イワンはそんなものはない、と言う。

       

      まずは、シャトレ座との交渉を済ませ、報酬等の条件と曲目をチャイコフスキーの

      ヴァイオリン協奏曲にすること等を先方に伝えることに成功した。

      そこからかつての仲間達を巡り、楽団員を集める道中が始まる。

       

      この場面では、現在は様々な職についている人々との再会が描かれるのだが

      アダルトビデオの吹き替えを監督している者がいたり、中には遊牧民として暮らしている者も

      いて、ヴァイオリンを器用に操りながら賑やかな音を奏でて部族みんなで踊り出す場面など、

      フランス映画らしくコミカルに描かれている。

       

      アンドレイはヴァイオリン協奏曲のソリストにパリ在住の一流女性ヴァイオリニスト

      アンヌ=マリー・ジャケを指名し、マリーは海外公演中の多忙な期間にも関わらず

      かつての一流指揮者であるアンドレイが指揮をすると聞き、どんな条件でも受けると伝えて欲しい

      と代理人であるギレーヌという女性に申しつける。

       

      そして、様々な困難を乗り越えた後にとうとうパリに辿り着くのだが、リハーサル当日には

      楽団員はみんなパリで自由を謳歌していて、会場にはほとんどの楽団員が現れず

      マリーは意気消沈してしまう。

       

      ここで楽団員達はそれぞれにパリで白タクをやってみたり、翻訳者として働いてみたり、ロシアから

      持ち込んだキャビアを飲食店に売り込もうとしたり、中国産の携帯電話を売り捌こうとしたり

      (税関をすり抜けるために楽団員全員に1つずつ持たせて持ち込んでいる)、様々な方法で

      金を稼ごうとしていて、商魂逞しいユダヤ人の気質をコミカルに描いている

       

      マリーはアンドレイを食事に誘い、何故自分をソリストに選んだのかを聞こうとする。

      アンドレイは、かつて自分の楽団にいた才能溢れるユダヤ人のヴァイオリニストであるレアという女性

      について話し始めるが、何か隠し事をしているようで歯切れが悪い。

       

      結局、核心には触れないまま、かつて起きた事件のこと、その時に最高の演奏を

      完成させられなかったことについて悔やんでいることを伝えるが、マリーは

      私はレアの代わりにはなれない」と言い、翌日の公演を中止するように進言してその場を去る。

       

      そもそもアンドレイは何を隠しているのだろうか。彼の持ち物の中にはマリーのCDが大量にあり

      それを見たサーシャは「まさかあの子なのか?此処には演奏をしに来たんだよな?」と言う。

      アンドレイとサーシャはマリーの代理人であるギレーヌとも面識があるようで、ギレーヌからも

      「彼女に何か話すつもりはないわよね?」と釘を刺される場面がある。

       

      そしてコンサート当日に、楽団員達は「レアのために戻ってこい」という携帯電話へのメッセージを見て

      滑り込みで全員が会場に勢揃いする。とうとう大観衆の前で演奏が始まるが、どこか調子外れで聴衆も

      顔を見合わせてしまう。

       

      しかし、最初のマリーのソロが始まると徐々に全員が一丸となって素晴らしい演奏へと昇華していく

      感動的な演奏の続くなか、アンドレイの独白が演奏に被せられ、マリーに関する衝撃の真実が明らかになる

      なおも演奏は続き、その途中で様々な映像が差し込まれる。

       

      アンドレイの交響楽団が好評につき、世界中で追加公演を決定したこと、

      ロンドン、ベルリン、北京、日本、シドニー等を周り、各地の新聞でその成功が伝えられた様子、

      アンドレイが家でマリーと親しげに話している様子などが代わる代わる映し出される。

       

      そうして、物語と共に演奏はクライマックスに向かっていき、至上の演奏が終了したとき

      観客席は総立ちで拍手を送り、壇上に花を投げ入れた。

      アンドレイの胸で涙を流すマリーの顔が映し出され、物語は幕を閉じる

       

      〜感想〜

       

      ロシアの交響楽団について描かれた映画ということだったが、随所の小ネタなどに

      フランス映画らしい部分を感じた。

       

      物語の本筋はシンプルだが、一捻りが加えられており、ストーリーも素晴らしいものと言えるだろう。

      特に最後のオーケストラによる演奏場面は圧巻である

       

      音楽モノの映画では最後に大団円の演奏シーンがあるのはお決まりと言っても良いが

      クラシックの場合は1曲が長く、曲のなかでもストーリーがあるため、どのように表現するのか

      気になっていたが(事実、最後の演奏シーンは12分に渡る)、演奏シーンに被せて物語の核心や

      後日談などを映像で表現するという演出は非常に秀逸と感じた

       

      映画全体で見ると、シリアスな部分もあるが、根底には明るさが常に感じられるようになっており

      鑑賞後には温かい気持ちになれるような、爽やかな感動を与えてくれる映画であった。

      2018.05.16 Wednesday

      『手紙は憶えている』ナチス兵への復讐を誓った男が辿り着く真実とは

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        本作「手紙は憶えている」の原題は「remember」であるようだ。

        主人公のゼヴは90歳の老人で認知症を患っている。最愛の妻ルースは亡くなってしまっているが

        そのことさえも忘れてしまうことがある。彼は老人ホームに入居しているが、そこにいる友人マックス

        からルースが亡くなった時に誓った三人の約束を憶えているか、と問われる。

         

        ゼヴは憶えていない、というが、ルースが忘れても大丈夫なように手紙に書き記した、と告げ

        身体の不自由なマックスの代わりに、ゼヴはその内容に従って人捜しの旅に出る。

        後ほど明らかになるが、手紙によるとゼヴとマックスはアウシュビッツ収容所の生存者で

        彼らの家族は全て収容所で殺されてしまったという。

         

        さらに、収容所で自分たちの家族を殺したナチスの兵士はルディ・コランダーという偽名を使って

        今も裁かれずに逃げ続けているという。その名を持つ容疑者は4人。ゼヴは復讐を果たすため

        順番に一人目、二人目、とルディ・コランダーに会っていく。

         

        一人目は、当時アウシュビッツにはおらず、その時はアフリカで作戦に従事していた、と証言し

        その証拠として当時の部隊のワッペンを見せる。

         

        二人目は、なんとアウシュビッツにいたというが、銃口を向けたその瞬間、左腕の囚人番号がゼヴの目に入る。

        彼はアウシュビッツで囚われていた囚人だったのだ。ゼヴは涙を流し「すまなかった、許してくれ」と請う。

         

        三人目のルディ・コランダーを訪ねると、既に亡くなっていた。そのことを教えてくれた息子に家に誘われ

        話を聞くと、父親は戦争時の物品のコレクターだったと言い、コレクションを見せてくれることになる。

        亡くなった父親の部屋にはハーケンクロイツの旗が掲げられており、ナチの信仰者だったことがわかる。

         

        疑いを深めたゼヴは更に詳しい話を聞こうとするが、父親はアウシュビッツでは働いておらず

        ドイツ軍の料理人をしていただけだと言う。話を聞いたゼヴは「人違いだった」と言い、去ろうとするが

        言動が不自然なことを咎められ、左腕の囚人番号が見つかってしまう。

         

        「汚らしいユダヤ人が!俺を騙しやがって!」と激高した息子に飼っている犬をけしかけられ、襲われそうに

        なったゼヴは復讐用の銃で犬を撃ち殺してしまう。さらに、銃を取ろうとした息子にまでも発砲し

        とうとう撃ち殺してしまった。

         

        その後、ゼヴは記憶を失うが、現場の状況を見て自分が殺してしまったことを知覚する。

        しかし、必ずこの手で復讐を終わらせる、と誓い、四人目の男を捜しに旅を続ける。

         

        四人目の男は、家族と孫と平和に暮らしていた。本人はまだ眠っているというので

        ゼヴは家に招き入れてもらい、置いてあったピアノでワーグナーの曲を演奏しながら待つことにした。

        起きてきたルディ・コランダーに「収容所にいたのならワーグナーは嫌いだろう」と問われるが

        ゼヴは「音楽は関係ないさ」と返す。

         

        そして、ゼヴが話をしようとすると、家族に聞かれたくないから外で話そう、と言われ

        二人で家の外に出て行く。彼は真実を話そうとせず、とうとう業を煮やしたゼヴは

        彼の孫娘に銃を突きつけて真実を語らなければ彼女を殺す、と脅す。

         

        そして、四人目のルディ・コランダーはアウシュビッツ収容所にいたが、捕虜ではなくナチス軍だったことを

        家族の前で話し、大勢の人間を殺したことを自白する。

        しかし、隠されていた真実はそれだけではなかった。さらにもう一つ、驚きの真実がその場で明らかになる・・

         

        ゼヴは最後にこう言った。

        「I remember.」

         

        〜感想〜

         

        オチについてはあまり言及しないことにするが、アウシュビッツ収容所というテーマを扱う理由が

        あったのかはイマイチ釈然としない。正面から扱う場合にはあまりにも重すぎる映画となってしまうため

        歴史は深掘りしすぎない程度の方が物語の本筋に影響を与えないのであろうが・・

         

        ナチスの信奉者らしき人間も登場するが、あくまで「ユダヤ人が嫌い」だという程度の思想しか感じられず

        ネオナチのような極端なイデオロギーを持っていたわけではなかった。

         

        では、思想をメインに描く映画ではないとするならば、物語の構成が非常に優れていたかというと、

        残念ながら凡庸であったと言わざるを得ないだろう。四人の男を順番に追いかけ、最後にオチがある、

        といってもある程度予想できる範疇となってしまうし、そこに至るまでの道中は正直なところ退屈である。

         

         

         

         

         

        2018.05.14 Monday

        『ロレンツォのオイル』ある夫婦の息子への愛が実現した偉業

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          本作は、難病である副腎白質ジストロフィー(ALD)を患った息子ロレンツォのために奮闘した夫オーギュストと

          妻ミケーラのオドーネ夫妻を描いた実話に基づく物語である。

           

          ロレンツォはある時から神経過敏になってしまい、学校で突然暴れだすなどの問題行動を起こすようになる。

          夫妻は原因がわからず困惑するが、いくつかの病院を訪ね、精密検査の結果、ALDであると診断を受ける。

          病気の原因は通常なら分解される長鎖脂肪酸が、分解されず脳に蓄積され、その結果、脳のミエリンという部分が

          破壊されること、だという。治療法もなく、同じ症例の子供は二年以内に100%亡くなっていると告げる。

           

          夫妻は他にも同じ症例の子供達がいるのならば、病気の研究は進んでいるのではないか、と食い下がるが

          医者は10年前にはこの病気は発見されてすらいなかった、研究はまだこれからの段階である、と言う。

          絶望の淵に突き落とされる夫妻だが、なんとかこの病気に関する研究の第一人者の医者を紹介してもらい、訪ねる。

           

          この病気の原因は、健常者であれば持っているはずの長鎖脂肪酸を分解する酵素を持たないことであり

          それは母から遺伝により受け継がれる形質だというが、女性は発症せず、5〜10歳の男児のみ発症するとのこと。

          そのため、実験段階ではあるが、原因となっている長鎖脂肪酸を含む食事を制限する療法があると言い

          夫妻はその療法を試すことにする。

           

          6週間後、血液検査の結果を見ると血液中に含まれる長鎖脂肪酸の値は下がるどころかむしろ上昇していた。

          夫妻は医者に電話し、全く効果が見られないと責めるが、医者はこの実験は6ヶ月継続することが重要だと説き

          他の免疫抑制療法などもあるが、非常にリスクが高く、今現在は普通に会話ができているロレンツォには

          勧められない、と告げる。

           

          しかし、夫妻はわずかでも息子が治る可能性があるのであれば、それに賭けたいと言いロレンツォに

          免疫抑制療法を受けさせることにする。

          だが、一ヶ月後、ロレンツォの症状は全く改善が見られず、会話も辿々しくどもりがちになってしまっていた

           

          オドーネ夫妻は、ALD患者の家族の会の会長から会への参加を勧められ、集まりに参加する。

          そのセミナーのなかで壇上の講演者から食事療法のメニュー考案等ができないか、という提案があった際に

          ミケーラは「息子は食事療法を続けているが、数値はむしろ増加している。メニューを考える前に

          有効な治療方法を模索するべきではないか」と発言する。

           

          他の親からも自分の子供も数値が増加していて、この療法には効果がない、という声が上がる。

          しかし、基金を運営する支援団体の会長夫妻は「医療は医者に任せるべきで、医学というのは

          6ヶ月間の正確なデータの計測が必要であり、まだ現時点では正確なことはわからない」と言い、

          強引に次の講演者に場を繋いでしまう。

           

          夫妻は医者もこの病気について何もわかっていないことを理解し、自分たちでロレンツォを救う道を

          探すことを決める。医者は医学の専門家かも知れないが、生化学や神経学、その他学問の専門家ではなく

          自分たちも息子の病気と闘うためにはそれらの知識を身につけるべきだと考える。

           

          そして、夫妻の図書館に通い文献を読み漁る日々が始まった。

          そのうち、ラットの動物実験において、食事制限をするのではなく、害の少ない種類の脂肪酸をあえて摂取する

          ことで、身体が生合成する脂肪酸の量が減った、という実験結果を発見する。

           

          この結果を受けて、様々な学問の専門家は自身の学問分野には詳しいが、他の分野に関する知識も横串を通して

          検討する必要性を感じる。医者に相談したところ、シンポジウムを開催するのが最も有用であろうと助言され

          夫妻は協賛者や資金集めに奔走する。

           

          ALD患者の基金を運営している家族の会に真っ先に相談するが、にべもなく断られてしまう。

          だが、その他の協賛者を得ることができ、無事にシンポジウムは開催される。

          そのシンポジウムの場で、ある研究者からオレイン酸にALD患者の細胞を漬けたところ

          数値の改善が見られた、との発言を得ることができた。

           

          しかし、実際に臨床で使用するほどのオレイン酸は入手ができない、とその研究者は言うが

          夫妻は幾つもの製薬会社に問い合わせ、とうとう産業用にオレイン酸の抽出を行っている工場を探し当てる

          オイルを入手した夫妻は、すぐにロレンツォへの投与を開始する。

           

          1ヶ月後の検査結果では15%の数値の低下が見られたが、医学的には自然変動の範囲であると告げられる。

          だが、2ヶ月後の検査ではなんと50%もの低下が見られたのだ。これは劇的な成果であり、夫妻は医者に

          この内容を告げるが、現時点では一つの症例のみでまだ断定的な行動を起こすことはできない、と言われる。

           

          夫妻は他にも戦っている家族がいることから、家族の会と連絡を取り、ALD患者の家族に対して

          今回のロレンツォの結果について他の家族に報告する文書を送付したい、と申し出るが

          またも頑なに拒否される。夫妻は他の家族の知る権利を阻害するのか、と感情的になりながら抗議をする

           

          家族の会の答えは「我々は患者の家族の心理的負担等をケアするのが役目で、医療は医者に任せるべき」という

          ものだった。さらに「我々はこの病気で子供を二人失ったが、一人目はすぐに逝くことになってまだ幸せだったが、

          二人目は三年も苦しみ、そのうち二年は失明し、光を失ったままだったんだ」と続け、無闇に希望を持たせること

          は更に悲しみを深くしてしまうため、我々は賛成できない、と告げた。

           

          夫妻は失意のまま3ヶ月後の検査結果を得るが、数値は2ヶ月目に50%低下したところからほとんど変化がなかった。

          ロレンツォの症状も改善せず、夫妻は徐々に精神状態も不安定になっていく。

          果たしてロレンツォはこのまま苦しみ続けることを望んでいるのだろうか、夫妻の心に不安がよぎる。

           

          献身的にロレンツォの世話をしてくれているナースやミケーラの妹との関係も長引く介護生活によって

          少しずつ亀裂が入り始める。何より夫妻の精神はもう限界に近かった。しかし、夫妻は決して諦めず

          更なる改善を求めて新陳代謝に関する文献をひたすら読み解いていく。

           

          すると、ラットの長鎖脂肪酸の生合成を抑える実験に関する研究結果を発見する

          原因となっている長鎖脂肪酸の性質により近い脂肪酸を外部から投与することにより、身体内部での合成が

          抑えられるという。

           

          この研究結果をもとに、有用な脂肪酸はエルカ酸であると導きだし、これを投与することで効果が見られるのでは

          ないか、という仮説を立て、医者に相談をする。医者は非常に期待できる研究結果だと言うが、肝心の成分について

          アメリカ国内においては人体に有害であることを示すエビデンスが数多くあり、認可は難しいだろうと告げる。

           

          夫妻は、エルカ酸は海外の国や地域によっては日常生活で摂取されている菜種油の主成分であることから

          国内は無理でも国外に活路がないか、必死で研究者を探そうとする。

          前回協力してくれた製薬会社のつてを辿り、何とか一人の研究者が協力を約束してくれることになった

           

          完成したオイルをロレンツォに投与すると、なんと長鎖脂肪酸の値が正常値にまで戻ったのである。

          破壊された脳の神経部分が回復するわけではないが、症状は徐々に改善し、なんとか小指を動かすことができる

          程度にまで回復し、簡単な意思疎通ができるようになった

           

          夫妻は更に、破壊された脳のミエリンを修復する方法がないかを模索し、同じ症状の犬に対して

          ミエリンを修復する研究を進めている研究者を発見し、共同研究者や研究への出資者を集めて

          研究のスピードを加速させることにチャレンジしようとする・・

           

          本作品の物語はここで幕を閉じるが、映画公開時点でロレンツォの病状はさらに回復していることが伝えられる。

           

          〜感想〜

           

          まず、全く専門外の夫妻が息子が難病を患ったことにより、専門家でさえも気づかない事実に

          執念で辿り着いたという偉業に対し、素直に敬意を表したい。

          また、その事実を知るきっかけになったこの映画についても、その点において賛辞を送りたい。

           

          いわゆる“研究者”という人種はどうしても深い専門性を追求することが目的となるため、全く異分野の

          研究にまで知見を深めることは不可能であろう。もちろん医学においても同様で、たった一つの病気について

          異分野の研究も含めた、ありとあらゆる角度から調べ尽くすことは難しいであろう。

           

          しかしながら、それでもこの夫妻は並大抵ではない精神と熱意の持ち主であったがゆえに、このような偉業を

          成し遂げられたのであろう。医者の言うことを鵜呑みにせず、息子のために何かできることがないか限界まで

          調べ尽くし、それでも見つからない場合には一から学問を学び直してでも新たな治療法を模索する、そんなことが

          できる人間は本当に僅か一握りしかいないだろう。

           

          だが、この夫妻はそれを成し遂げたのである。

          人間の限界などというものは果たして、激しい情熱や衝動の前では存在しないのではないかと思える。

          医者が匙を投げるとはよく言ったものだが、諦めなければそれでも未来が開かれることは間違いなくあるのだ。

           

           

          2018.05.13 Sunday

          『クレイマー・クレイマー』

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            本作はクレイマー夫妻とその息子である5歳のビリーを巡る物語である。
            夫であるテッドをダスティン・ホフマン、妻であるジョアンナをメリル・ストリープが演じる。

            公開は1979年となっており、夫は仕事で夜が遅く、妻は家庭を守る、という恐らく当時の

            アメリカの典型的な家族像であり、日本においても大差はないだろう

             

            ある日、テッドは仕事で夜遅くに帰宅すると、ジョアンナは荷物をまとめていた。

            テッドが「良い報告がある」と言って、これまで半年間頑張ってきた仕事が上手くいったこととその成功により

            昇進が約束されたことを伝えようとすると、ジョアンナは「私は出て行く」と言い、家を出ようとする。

             

            テッドは引き留めようとするが、ジョアンナは聞く耳を持たず、荷物をまとめたスーツケースさえも

            持たないまま去ろうとする。テッドは「子供はどうするんだ」と聞くが、ジョアンナは「私はいないほうが良いの」

            「良い母親じゃなかったわ」などと支離滅裂なことを口走りながら行ってしまう。

             

            翌朝、息子のビリーが起きてくるとテッドは朝食もパパと作るし、学校の送り迎えもパパがする、と宣言するが

            ビリーが「フレンチトーストが食べたい」と言い、それを作ろうとしたテッドの手際は散々で、まともな

            朝食はできなかった。

             

            テッドは会社の上司に事情を話すと、子供は親戚の家に預けた方が良いのではないかと提案するが

            妻がじきに帰ってくるだろうし、家庭内のことを仕事に持ち込むことはしないから問題ない、と

            上司の提案を突っぱねる。

             

            言葉とは裏腹にビリーとの関係はぎこちなく、テッドの言うことをなかなか聞いてくれない。

            ビリー自身も母親がいなくなってしまったことへの寂しさなどが募り、素直になれない状態なのだろう。

            数日後、ジョアンナからビリーに手紙が届く。

             

            テッドはきっと帰ってくる日が書いているだろう、と言いながらビリーに読み聞かせようとするが

            内容は「ごめんなさい、私は一人で生きていく。ビリーはお父さんが育てることになるでしょう」といった

            幾分身勝手に感じられるものであり、手紙の途中で内容を察したビリーは、もう聞きたくないとばかりに

            テレビを大音量で付けて遮ってしまう。

             

            幼いながらも母親が帰ってこないことを理解したビリーは、悲しみに暮れながらも徐々に父親である

            テッドと打ち解けていく。一方で、テッドは職場で「妻が出て行ってからの君の仕事ぶりは良くない」

            と批判を受けることが増えていく。

             

            そんな時、テッドの職場にジョアンナから連絡があり、会って話がしたい、と言う。

            喫茶店で会ってみると、ジョアンナは仕事を見つけて充実していることと、セラピストに通って

            精神的にも安定してきたことを伝え、落ち着いて改めて考えるとやはり息子を愛しているから

            ビリーの親権が欲しいと言い出す。

             

            テッドは激高し、テーブルにあったグラスを払いのけて店を出て行ってしまう。

            その足で弁護士事務所を訪ね、親権を渡したくない、と相談する。

            弁護士は相手側にも弁護士が付いているだろうし、幼い子供の場合は母親が有利になりやすい旨を伝え、

            難しい裁判になることと、費用が高額になることを告げるが、テッドはそれでも構わない、と言う。

             

            その後、テッドは仕事で上手くいっていたはずの大口契約先が、別の会社と代理店契約を結ぶことに

            なってしまった責任を取らされ、会社を解雇されてしまう。

            そのことを電話がかかってきた際に弁護士に伝えると、「無職では勝ち目がない」と言われるが

            明日には次の職を見つける」と言い放ち電話を切ってしまう。

             

            翌日、紹介所を訪ね、何処でも良いから今日中に職を見つけたい、と言って紹介員に迫る。

            今はクリスマス前で時期が悪いため、2月〜3月まで待つべきだと言われるがテッドは全く聞く耳を持たない。

            どうしても早く見つけたければ職はないわけではないが、5000ドル程度は下がってしまう、と言われるが

            それでも良いから早く紹介してくれと強引に当日中の面接を取り付けてしまう。

             

            その後、紹介された会社で面接をするが、後日結果を連絡する、と言われテッドはなんとか食い下がり

            決定権者は誰かを訪ね、その人と今日中に話がしたい、と強く主張する

            面接担当者は困った顔をしながら、上司を呼んでくるから待っているように告げる。

             

            その上司との面談も無事に済むが、これまでの優れた経歴がありながらどうして条件の悪い仕事に

            就こうとするのか、疑問は拭いきれないようだった。テッドは本日中のオファーであれば年収ダウンでも

            問題ないし、私はこの会社で働くつもりだから、結果をすぐに教えて欲しい、と言って、見事に採用される

             

            なんとか職を得ることができたテッドは、ジョアンナと親権を争う法廷に出廷する。

            テッドの弁護士はジョアンナに対して息子を置いて出て行ったことなどを追求する厳しい口撃を仕掛け、

            一見有利に見えたが、ジョアンナ側の弁護士は、テッドがジョアンナに対して息子が怪我をしたことについて

            自分の責任だと言ったことや、仕事上のミスで前職を解雇されたことなどを追求してくる。

             

            テッドは「息子が40度の高熱を出しているのに仕事だからといって放っておけるわけがないだろう!

            と言い放ち激高するが、あまりに感情的な態度に裁判官からはあまり良い印象を持たれなかったようだ。

             

            しばらくして、判事の結果が出るが、親権はジョアンナの手に渡ることが決定された。

            テッドは上訴できないかと弁護士に懇願するが、弁護士は「息子であるビリーに証言してもらうなら手がある」

            と言う。その瞬間にテッドは「それはできない、それならば上訴は無しだ」と即答する

             

            とうとう、ジョアンナがテッドを迎えにくる日がやってくる。インターフォンを押したジョアンナは、テッドに

            「一人で降りてきて欲しい」と告げる。ジョアンナはテッドの顔をみると涙ぐみ、「新しい家でも、今の部屋と

            同じように壁をデザインしたい、と考えていたけど、あの子の家はここしかないことに気づいてしまった。」と

            話し、ビリーを連れて行くことはできない、と言う。

             

            テッドはジョアンナをそっと抱きしめ、自分はここで待っているからビリーと二人で話しをするように言い

            ジョアンナはエレベーターに乗って、かつて自分が住んだ部屋へと向かうとことで物語は幕を閉じる。

             

            〜感想〜

             

            冒頭から別れを切り出す場面で始まるため、その際のジョアンナは情緒不安定で一種ヒステリーのようにも見える。

            もちろん、テッドも後に家庭を顧みない夫であったことを反省するのだが、この時点では母親でありながら

            息子を捨て置いて家出をするなど、あまりにも自己中心的すぎる印象を与えられた。

             

            少なくとも私は、新しい環境で仕事を見つけ、彼氏を見つけて落ち着いた途端に、余裕が出てきたのか

            やっぱり息子を愛しているなどと言い出す親は全く信用できない

            人間である以上、感情的になることはあるかも知れないが、少なくとも人の親である以上は自己中心的な理由で

            子供を捨てるなどといった行動は死んでも取るべきではない、と思う。

            しかもその過去をまるでなかったことのように、親権を請求するなど厚顔無恥としか言えないだろう。

             

            一方のテッドは過去を反省し、息子とも意欲的に関わっていこうとする意志を感じるし、実際に行動にも

            それが現れていた。特に、裁判後にフレンチトーストを再び二人で作るシーンでは父親としての成長が感じられた

            裁判中にもあったが、仕事よりも子供を優先する姿勢や、自分が側にいるときにビリーが怪我をした事に対して

            「自分の責任だ」と感じない親など、果たして親としての責任を果たしていると言えるだろうか

             

            最後のシーンは少し、ぼんやりとした終わり方でハッピーエンドと言って良いのか微妙なところだと感じた。

            全体としては、こういった情緒不安定な母親は割と世間に溢れているように思えるし、引き取った最初は良くても

            新しい男との間に子供ができると、途端に放置されるなどという話も非常にありふれた話に過ぎないだろう。

             

            問題はそういった個々の事情や個人の性質に配慮せず、幼い子供は母親といたほうが幸せである、という

            凝り固まった固定観念によって、多くの元夫婦間の法廷闘争において、親権者が母親となってしまう点であろう。

            アメリカでも恐らく社会問題となっていたのだろうが、公開が40年近くも前であることには注意が必要である。

             

            アメリカで現在、こういった問題が解決されているのかは不明だが、少なくとも日本においては

            現在に至るまで、親権者は母親であるべきという固定観念による判断が繰り返されているのではないだろうか。

            働き方や夫婦の役割なども既に大幅に変わっている今、時代錯誤も甚だしいと言わざるを得ない。

            2018.05.11 Friday

            『Linving Behavior 不可思議/wonderboy 人生の記録』あるラッパーの軌跡

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              本作は24歳で不慮の事故により急逝してしまったポエトリー・ラッパー

              「不可思議/wonderboy」について描いたドキュメンタリーである。

              以前から興味があったのだが、Amazonビデオにてレンタル可能なのを発見し、衝動的に見てしまった。

               

              自分が不可思議/wonderboyについて知ったのは既に彼が亡くなった後だった。

              彼の紡ぐ詩の世界観は圧倒的な表現力を持っており、Hiphopの文脈とはまた少し違う熱量を感じた。

              彼自身の存在だけで、当時はまだ一般的ではなかったポエトリーリーディングというジャンルを

              真っ向から肯定したくなる気持ちになったのを良く覚えている。

               

              内容について、このドキュメンタリー作品は本人の生前のライブ映像(路上も含む)や生前の彼を知る

              “仲間”であるラッパー、トラックメイカー、詩人、Live会場のBarのマスター、レーベルの代表者等の

              インタビュー映像によって構成されている。

               

              彼は、亡くなった日に、同じポエトリー・ラッパーの狐火がPV撮影をしている現場に会いに行く予定だったようで

              当日の18時に仕事が終わったから今から向かう、とレーベルの代表者に電話を入れており、それが最後の言葉と

              なってしまった。

               

              彼の代表作である「Pellicule」はサッカーでプロになりたいが、日本のプロリーグには実力が足りず

              とうとうタイの三部リーグでプロサッカー選手として生きていくことを選択した友人のために詩った曲だという。

              彼が所属したレーベルの代表者は、他の曲も何か、や誰かをテーマにした詩ばかりであり

              彼の曲を聞くと、そういった人々の物語を感じるような気がする、と言う。

               

              詩人の谷川俊太郎はカナダの哲学者の言葉を引用し、人間の行動には二種類あると説く。

              Living behavior(純粋に生きるための挙動)Death-avoiding behaviour(死を回避するために取る行動)である。

              前者は、内から溢れ出るような生命力が根源となる行動で、不可思議/wonderboyの生前の映像を見た

              谷川俊太郎は「彼は正にこれ(Living behavior)だね」と言う。

               

              さらに、谷川俊太郎は、今、我々が生きる現代社会は後者の死を回避する行動ばかりになっている、と言う。

              生活のためにお金を稼ぐこと、薬を飲んで長生きすること・・

              彼は映像で見るとこんなにも生命力を発しているのに、今、その命はもう既に無くなってしまっている。

              生死の概念が全くの対極にある、それゆえに、今、彼の映像を見ると感動してしまうのだろう、と続ける。

               

              何人かの人々が彼を思いながら言う言葉達は、「彼がいたから繋がった絆がある」「彼の曲を買う人々が今もいる」

              「死んでしまっても、彼の曲は“彼がいない世界の人々に向けた手紙”として完成している」などであり

              死によって彼の物語は終わったわけではなく、むしろ始まりに過ぎず、これからも“生き続ける”ことを感じさせる。

               

              Barのマスターは未だに彼が亡くなったという実感はなく、どこかでふと出会うんじゃないか、と言い

              死後の世界があるかはわからないけど、例えばそんな風にして、絶対にいつかまた会えると思っているという。

              その日が来たときに、きっと彼らは何でもないように言うだろう。

               

              「やあ、久しぶり」

               

               

               

              〜感想〜

              上映時間は1時間弱と短めであるが、不可思議/wonderboyがどういったラッパーだったのか

              その人となりや、ラップへの姿勢などが垣間見えるドキュメンタリーとなっていた。

               

              特に詩人の桑原滝弥が語る彼の姿は、ストリップを見に行って逆に凹むほどウブだった、リリック以外では

              「ヤバイ」しか言わず小学生並みの語彙力しかなかった、など等身大の青年像を思い浮かべさせる。

               

              わずか24歳の若さでこれだけの影響力がある作品を生み出せる才能がありながら、この世を去ってしまったのは

              本当に残念としか言いようがなく、歯痒い思いである。

              今でも生きていて作品を作り続けていたら、ライブ活動を行っていたら、と願ってやまない。

              2018.05.08 Tuesday

              『しあわせのかおり』中華料理店が織りなす優しい人間模様

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                金沢の港町にある小さな中華料理店が舞台の物語である。

                店内は活気溢れる様子で、客の笑顔が絶えない空間である。店主である王さんの調理シーンを見ていると

                非常に鮮やかな手際で、美味しそうな料理が次々と完成していく。

                 

                中谷美紀が演じる山下貴子は百貨店の社員として働いており、上司から中華料理店「小上海飯店」に

                出店交渉を行うよう指示を受け、店を訪れて、王さんに声をかける。

                しかし、お客さんを優先して対応する王さんは山下に対し、にべもなく断りの句を告げる。

                 

                上司に報告するが、必ず出店してもらうよう粘り強く交渉するよう迫られ、貴子は再び小上海飯店を訪れ

                今度は話を聞いてもらう前にランチを注文する。すると、料理の美味しさにつられて、自然と笑みがこぼれてしまう。

                貴子は店のファンになり、連日店を訪れてはその日のランチメニューを注文するようになる。

                 

                ある日、王さんが仕込みをしている時に突然倒れてしまい、その場にいた仕入れ先農家の青年が

                急いで駆け寄り、声をかけるが、そのまま病院に搬送され、入院を余儀なくされる。

                医者は王さんに対して、脳梗塞で半身に麻痺が残る状態となってしまっていることから以前のような動きは難しく

                激しい運動や調理などはできないだろう、と告げる。

                 

                衝撃的な事実に呆然とする王さんの元に、貴子はお見舞いで訪れ、出店交渉のつもりが、いつのまにか店のファンに

                なってしまい通い詰めていたのだと正直に告げる。すると、王さんも貴子が来るのを楽しみにしていて

                次はどんなメニューを食べさせようかと日々考えていたのだ、と返す。

                 

                貴子はとても美味しかった蟹シューマイについて味の秘密を訪ねるが、王さんは秘密は教えられない、と断り

                もし、自分の店に来て修行するなら教えてやっても良い、とうそぶく。

                 

                貴子は会社で王さんが入院中のため、出店交渉は待って欲しいと報告するが、上司は、あの中華料理屋はもう終わりだ

                と言い放ち、他の社員に別の店をあたるように指示するなど、とりつく島もない。

                貴子は必ず出店交渉を成功させるように指示しておきながら、王さんが倒れた途端に

                手のひらをあっさりと返す会社の姿勢に疑問を感じる

                 

                その後、退院した王さんの元に貴子が訪れ、会社を辞めてきたから弟子にして欲しい、と申し出る。

                王さんは困り果て、退職を取り下げるように言うが、貴子は聞く耳を持たない。

                なんとか王さんは店から貴子を追い出し、扉をピシャリと閉めてしまう

                 

                貴子は悲しみながら帰路につき、電車に乗ろうとするが、そこに王さんが杖をつきながら現れる。

                二人三脚の料理修行はここから始まることになる

                 

                まず、一番最初に貴子が教わるのはスープ作りである。

                鶏挽肉を少しずつ水でのばし、その後火を入れる作り方と聞き、貴子は鶏ガラは使わないのかと尋ねるが

                王さんは料理本に書いてあるような知識は全て捨ててしまいなさい、と説く。

                 

                王さんの指示どおりにスープを作ると非常に透き通っていて美味しそうなスープが完成する。

                様子を見に来ていた仕入れ農家の青年と二人で味見をした貴子はその美味しさに感動する。

                 

                そんなある日、王さんが恩人と慕う女性が店を訪ねてきて、息子の結婚祝いの宴会をこの店で開きたいと申し出る。

                しかし、王さんは麻痺が続いていて、未だ思うどおりに身体が動かず、料理が出来ないため断る。

                なおも簡単なメニューだけでも良いから、と女性が食い下がるも王さんは首を縦に振らなかった。

                 

                なお、貴子は母一人子一人の母子家庭の母親として、働きながら子供を育てているが、家庭に何か問題があるのか

                児童相談所の人間と度々面会をしている。児童相談所の人間は前職をあっさりと辞めてしまったことと

                唐突に中華料理人を目指すという突拍子もない行動に不満と不安を抱いているようだ。

                 

                貴子は王さんからの指導を受けながら、徐々に王さんの味を伝授されていく。

                しばらく経った頃、地元の宴席で料理を振る舞う機会が与えられ、貴子はそこで牡蠣の蒸し料理を提供するが

                その宴席で食中毒が発生してしまい、貴子はそこで責任を感じて塞ぎ込んでしまう。

                 

                王さんのもとに児童相談所の人間が訪れ、貴子は夫が亡くなってから、意識障害が起きることがあると告げる。

                さらに、「素人がいきなり中華料理人になろうなんて無謀じゃないか、もし難しいと思ったら本人に言ってあげてください。」

                などと続ける。

                この言葉を聞いた王さんは激怒し、「一生懸命頑張っている人間に対して失礼なことを言うんじゃない!」と叫ぶ。

                 

                王さんは貴子の家を訪ね、食中毒の件は気にすることはないと告げ、恩人から頼まれていた結婚祝いの宴席について

                貴子にお願いしたいと伝える。貴子は断ろうとするが、師匠の命令だ、と言われ、とうとう提案を受け入れる。

                 

                そして、貴子と王さんは二人で王さんの故郷を訪れ、結婚祝いの老酒を手に入れようと、酒造を訪れる。

                貴子と王さんは味見を薦められ、貴子はその美味しさに驚く

                その後二人は王さんの故郷の村に行くのだが、思いもかけずに大歓迎を受け、村で宴会が開かれる。

                 

                宴会では村長が二胡を演奏して二人を祝福してくれ、村人は貴子はどういった女性なのか、と王さんに尋ねる。

                王さんはその時、中国語で「娘だ。私の大事な娘だ。」と答え、場は大層盛り上がる。

                貴子は通訳の女性に意味を尋ねようとするが、盛り上がりが最高潮となり、機会を逃してしまう。

                 

                翌日、二人は川を眺めながら会話をし、王さんが少しその場を離れた際に、貴子は通訳の女性に

                昨日王さんは何と言っていたのかを訪ねる。通訳が答えると、貴子は感動し、王さんのもとへ駆け寄って嬉しさを表現する

                 

                日本に戻り、とうとう宴席が開かれることになる。ウェイターは農家の青年がしっかりと蝶ネクタイで決めて勤めるようだ。

                まずは、23年モノの老酒を乾杯のために開け、中国では子供が生まれた年に酒を仕込み、お祝いの時に開ける風習があると

                紹介し、結婚する娘さんが23歳であることから、これを準備したことが明かされる。

                両家の家族全員で乾杯をし、老酒に舌鼓を打つが、みな美味しいと感動した様子である。

                 

                厨房では貴子が料理に取りかかっている。修行に来たばかりの時はまるで振るえなかった中華鍋も、見事に振るえている

                食材を切る包丁の音、炒め物や揚げ物の油の音、煮込み料理の沸々とした鍋の音など、小気味いい音が厨房に響き渡る。

                料理が順に出されていき、デザートの手前でウェイターが確認すると、恩人の女性がもう一品だけ欲しいとリクエストを伝える。

                 

                その料理とは・・トマトの卵炒めであった。基本中の基本ともいえる中華料理だが、貴子はこのメニューは王さんが作るべきだ

                と言い、王さんが渋ると「弟子の命令ですよ」と言い放つ。これには王さんも反論がなかったようで

                痺れが残る手を庇いながら両手で鍋を振り、貴子が具材をお玉で混ぜ、二人の共同作業でメニューは完成した。

                 

                最後に二人の料理人を呼んで欲しい、と言われたウェイターは貴子と王さんに声をかけ、家族一同から料理のお礼を

                述べられ、二人とも感無量と言った表情で感謝を述べる

                 

                〜感想〜

                 

                中華料理店が舞台ということもあり、全体として、非常に“美味しそうな”シーンが多い映画である。

                ストーリーはいわゆるヒューマンドラマであるが、細かい部分で各々の気配りが行き渡っていると感じた。

                徐々に深まる王さんと貴子の絆については、誰もが感動を持って受け入れられるだろう。

                 

                そもそもこの映画には嫌な人間が一人も登場しない。貴子の会社の人間は少しドライな部分もあるが

                ビジネスとしてやむを得ない、というスタンスで嫌味さを感じさせるほどではない。

                 

                映画の中で何度か、複数人が同時に飲み物に口をつける、という場面があるのだが

                スープの味見の場面では、貴子がまず器に装ったスープを農家の青年に手渡し、そして自分の分を取り分けた後

                貴子が口をつけるのを見届けてから、一呼吸待って、農家の青年が口をつけている。

                 

                同様に、酒造では王さんが老酒に口をつけるのを見届けてから貴子が飲んでいて、宴席での乾杯の場面では

                結婚する娘の父親がまず口をつけてから、他の全員が老酒を飲んでいた。

                非常に細かい部分だが、この時間に流れる空気感が何とも心地よい

                 

                マナーや作法と言ってしまえばそれまでなのだが、こういった場合にその場の全員が意識を合わせて自然に振る舞える

                ことこそが、“心配り”として尊重されるべきなのではないだろうか。

                この時に誰かが気を遣って「お先にどうぞ」や「失礼していただきます」などの言葉を発していたとしたら

                途端にその場の空気は、型にはまった堅苦しいものに成りかねない。

                場の全員が無言でありながら、極々自然に丁寧な振る舞いができているからこその様式美のようなものを感じたのだ。

                 

                同様のシーンが三度もあるところを見ると、恐らく撮影時にも意識されていた部分なのだと思われるが

                やはり印象的なシーンと成り得ていたと、個人的には感じた。

                 

                物語全体にそういった自然な配慮が行き届いており、とても穏やかな気持ちで鑑賞できる映画だった。

                2018.05.06 Sunday

                『セッション』狂気のレッスン、その果てにあるものとは

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                  「ラ・ラ・ランド」のデミアン・チャゼル監督のJazzをテーマにした本作はアカデミー賞で3部門を受賞している。

                  原題は鞭打つことを意味する「Whiplash」だが、ドラマーが患いやすい鞭打ち症等の意味もあるようだ。

                  J・Kシモンズ演じる鬼教師フレッチャーがマイルズ・テラー演じるニーマンをスパルタ教育する作品である。

                   

                  ニーマンはアメリカの名門音楽大学に通っており、偉大なジャズドラマーを目指している。

                  フレッチャーは学生の間でも有名な超スパルタ教師だったが、彼が指揮する学内のバンドは非常に高い評価を得ている。

                  ある日、ニーマンが自主練習をしているとフレッチャーに声をかけられ、ドラムをプレイするように言われる。

                   

                  数フレーズも演奏しないうちにフレッチャーはニーマンに厳しい言葉をかけて去っていく。

                  翌日、授業中に突如フレッチャーが現れ、生徒たちに順番に演奏を指示し、ことごとく酷評していく。

                  そして、ニーマンにもドラムを演奏するように指示する。

                   

                  相変わらずろくに演奏を聴いてもらえないが、ニーマンは演奏後にフレッチャーに声をかけられ

                  翌日の早朝6時に教室にくるよう指示を受ける。

                  ところが、翌日朝に教室に行ってみるともぬけの殻で、壁に掛けられた白版には朝9時からバンド練習と書かれている。

                  結局ニーマンは朝9時まで教室で待ち続け、練習が始まるとフレッチャーはニーマンを新人としてバンドメンバーに紹介する。

                   

                  フレッチャーの練習は非常に厳しく、常に罵詈雑言が飛び交っていて、ミスをしたプレーヤーに対しては

                  徹底的に人格を否定するような言葉を吐き続け、教室から追い出すようなことまでする。

                  ニーマンはサブドラマーとして練習を続けていたが、ある日のコンサート前にメインドラマーから預かった楽譜を無くしてしまう。

                   

                  コンサート直前になって、メインドラマーはニーマンのせいで楽譜を無くしてしまった、とフレッチャーに告げるが

                  「楽譜は自分で管理するべきだ、渡したお前の責任だから演奏しろ」とにべもなく言い放たれる。

                  メインドラマーは「疾患があり、譜面を記憶できないため、暗譜していない」と言うが、ニーマンは「僕は全て暗譜している」と言い

                  フレッチャーからその場で「ならば、お前が叩け」と言われ、メインドラマーとして演奏することを許される。

                   

                  コンサートは無事に成功し、その日からニーマンはメインドラマーの地位を手にすることになる。

                  しかし、安心も束の間、フレッチャーは「別の生徒が自主練習しているところを見かけて、良いドラマーを見つけた」と

                  新たなメインドラマー候補をバンドに連れてきたため、ニーマンは再び熾烈なポジション争いに巻き込まれることになる。

                   

                  ドラマー候補は3人となり、フレッチャーが納得する演奏をするまで、代わる代わるひたすら居残り練習を続けさせられる。

                  最終的にはニーマンが主演奏者として選ばれることになり、次のコンサートでの演奏を許された。

                  当日絶対に遅れないようにフレッチャーに釘を刺され、練習を終える。

                   

                  だが、当日ニーマンは遅刻しそうになり、レンタカーを借りてなんとかコンサート会場に辿り着くが、集合時間は過ぎていた。

                  開始時刻までにはまだ間があったが、自分のドラムスティックを持っていないことを叱責され、メインドラマーを降ろされそうになる。

                  ニーマンは抗議し、メインドラマーをやらせるように主張する。フレッチャーは「忘れた自分のスティックを時間内に持ってくれば

                  演奏は許可するが、1ミスでもあればお前は退学か卒業まで楽譜捲りのみを永遠とやらせるが、それでも良いのか?」と問う。

                   

                  ニーマンはそれでもメインドラマーの座に固執し、その提案を受けて、急いでスティックを取りに戻る。

                  しかし、スティックを手に会場に向かう運転途中に交通事故を起こしてしまう。

                  ニーマンは事故の相手が制止するのも聞かずに、流血しながら会場に向かい、なんとか辿り着き、演奏しようと試みる。

                  しかし、ボロボロの身体でまともな演奏ができるはずもなく、フレッチャーに「もう終わりだ」と告げられる。

                   

                  その後、学院から、過去にフレッチャーのスパルタ指導により、一流のジャズプレイヤーとなるまでに至ったが、鬱を患い、

                  自ら命を絶った卒業生がいることを告げられ、ニーマンは学院に呼び出された父親と共に、

                  同様の指導が無かったか聴取を受けることになる。

                  ニーマンは証言を拒むが、とうとうフレッチャーの行き過ぎた指導について告発し、大学は退学となる。

                   

                  しばらくして、街を歩いていると、ある店の看板にフレッチャーがゲストとして出演するイベントの告知があるのを見つけ

                  ニーマンは当日店に赴く。演奏が終わり、店を出ようとするとフレッチャーに声をかけられ、何者かの告発を受けて

                  教師の職を辞したこと、現在は指揮者として活動していることを聞く。

                  その際に、今指揮しているバンドには良いドラマーがいないため、良ければ演奏しないか、と提案を受ける。

                   

                  曲目はかつて練習した曲をやる、と聞き、ニーマンは悩みながらも、フレッチャーの提案を受け、当日に会場に向かう。

                  ところが本番の舞台上でフレッチャーはニーマンに対して「俺を舐めるなよ、告発したのはお前だろう」と告げ

                  観客に対し、全く知らない曲目を演奏する旨を発表した。

                   

                  ニーマンは当然楽譜を持っておらず、でたらめに演奏をするが、バンドメンバーから「何をやってる」と叱責を受ける。

                  1曲目が終了した時点でニーマンは茫然自失としたまま席を立ち、舞台袖に出て行き、フレッチャーの復讐は成功したかのように

                  思えたが、突如舞台に戻ってきたニーマンはいきなりドラムを激しく叩き始める。

                   

                  フレッチャーと周囲のバンドメンバーは困惑するが、ニーマンは「合図をする、曲目はキャラバンだ!」と叫び

                  ニーマンの合図と共にバンドメンバー達は演奏を始め、フレッチャーは渋々指揮を執り始める。

                  そのまま曲が終了してもニーマンはひたすらドラムを叩き続け、フレッチャーに制止されそうになるが

                  再び「合図をする!」と訴え、長時間のドラムソロを演奏する。

                   

                  演奏が続くうち、フレッチャーはニーマンのプレイを認めるようになり、ニーマンのソロプレイに対して指揮を執り始める。

                  そうして徐々に盛り上がりは最高潮に達し、最後にフィニッシュを決めたところで物語は閉幕となる。

                   

                  〜感想〜

                   

                  ラストの演奏シーンは圧巻の一言である。圧倒的な熱量が伝わる迫力の演技であり

                  狂気のスパルタ教師によって創り上げられた一人のジャズドラマーの熱奏こそが、狂気染みているという

                  皮肉にも思えるような構図が、更にクライマックスを大きく盛り上げているように感じた。

                   

                  扱う題材がジャズということもあり、専門的な方々からはもしかしたら一家言あるのかも知れないが、、

                  (ラ・ラ・ランドでも「こんなものはジャズではない」と否定するジャズ警察なる批評家からの厳しいコメントがあったようだ)

                   

                  ストーリーとしては陳腐、とまでは言わないが、明確なサクセスストーリー等が描かれているわけではなく

                  物語性は重視されていないことからも、恐らくラストシーンこそがこの映画の醍醐味といって差し支えないだろう。

                  冷静に考えれば、『パワハラを告発されて職を失った鬼教師が重要なコンサートの場を使ってかつての生徒に復讐する』

                  物語であると、この映画の内容を説明したとして誰が鑑賞意欲をそそられるのだろう・・

                   

                  上映時間は短く、骨太なストーリーがあるわけでもないのに、鑑賞後に熱に当てられたような心地よい疲れを感じる映画である。

                  好みは分かれるかも知れないが、音楽モノの映画には付きもののラストのライブシーンのみに向かって登り続けていくような

                  映画が好きならばきっと気に入るのではないだろうか。

                   

                  蛇足だが、世界的なジャズ演奏家が指導する子供がコンサート中に問題行動を起こしたことに対して

                  体罰を振るったことが問題になったことがあったが、恐らく、その少年はこの映画を真似したのではないかと思う・・

                  現実ではこのような行為は、周囲への迷惑等々含め、残念ながらある種滑稽というか、的外れな行動になってしまうことを

                  証明しているような気がする・・

                   

                   

                   

                   

                   

                  2018.05.01 Tuesday

                  『ゆきゆきて、神軍』その男、恐ろしき也

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                    JUGEMテーマ:映画

                     

                    冒頭から、結婚式の目出度い席で自身の活動家としての犯罪歴を自慢げに語り出す

                    男性の姿が映し出される。ありていに言って異様な人物であることは即座に伝わる。

                    本作は、この男、奥崎謙三というアナーキストの行動を描いた衝撃のドキュメンタリーである。

                    (マイケル・ムーア監督が「生涯観た映画の中でも最高のドキュメンタリーだ」と語っているそうだが・・)

                     

                    序盤は奥崎が行う犯罪スレスレの反政府活動を撮影しているが、途中から、かつて自らが所属した

                    独立工兵隊第36連隊のウェワク残留隊で、隊長による部下2名の射殺事件が『終戦後』に行われていた

                    ということを知り、その真相を究明するためにかつての上官たちを訪ね歩く物語になってゆく。

                    (なお、奥崎自身は終戦の1年ほど前に連合国の捕虜になっており、終戦前後のことは知らない模様)

                     

                    元隊員の対応は人それぞれではあるが、概ね「過去のことを掘り返すべきではない」といった趣旨の

                    発言が多く見受けられ、誰もが容易には口を開くことはない。

                    その際に奥崎は、当時殺害された部下の遺族を帯同して同情を誘ったり、場合によっては暴力も辞さず

                    強硬な姿勢で証言を引き出そうとする。

                     

                    そうして何人かの証言を聞いて回るうちに、ある衝撃の事実が判明する。

                    戦争の末期には、もはや生きるためにありとあらゆる非人道的行為が当然のように行われていて

                    そのなかには人肉を食べて生き延びる、といったことも誰もがやっていたという。

                     

                    奥崎や遺族達は、それらの事情から、生かしておくと都合の悪い部下がいたために戦争終結後にも

                    関わらず、強引に罪を被せて殺害したのではないかと推測し、再び口を閉ざしていた隊員達の

                    証言を引き出そうと、上官たちを再訪する。

                     

                    奥崎たちが掴んだ事実を突きつけると、上官たちも少しずつ重い口を開き始める。

                    軍隊であるからして、「“上”からの指示に逆らうことは誰もできず、命令があればただ従うのみ。

                    逆らえば殺される。」といった状況であったとのことで、誰がどういった理由で射殺を命じたのかは

                    最後までわからない。

                     

                    ただし、実際に処刑の現場にいて射殺の命令を下し、さらには最後に手を下した(介錯した)のは

                    当時隊長であった村本という男であると思われる。本人は否定しているが、複数の人間から

                    「処刑を直接指示したのは村本であった」という旨の証言があった。

                     

                    なお、その村本自身も「どうしても処刑しなければいけないのか、何とかならないのか」と

                    上に掛け合っていた、とする第三者の証言も聞かれた。

                    村本自身は、部下2名の処刑理由は「軍のお達しにより、黒豚(現地人の人肉)は食べても良いが

                    白豚(連合国軍の人肉)は食べてはならない、とされていたにも関わらず白豚を食べたから」

                    だと言っていたが、多数の人間は「敵前逃亡の罪で処刑された」と証言していた。

                     

                    さらに、「今日は黒んぼの肉か、白んぼの肉か、といって皆どちらも食べていたが、

                    現地人はすばしっこく食べる機会は少なかった、だが仲間の肉を食うことはなかった」とまで

                    証言する者もいたため、果たして真実がどこにあるのかは全くわからないままだった。

                     

                    もう一つ、戦時中に第36連隊の本隊で「くじ引き謀殺事件」が行われていたとして

                    こちらの事件についても山田という人間の証言を聞きに行くことになる。

                     

                    山田曰く、本隊は更に酷い状況だったらしく、食う物が無くなると、くじ引きで負けた仲間の隊員を殺して

                    その人肉を食うといったことが平然と行われていたそうだ。

                     

                    ちなみに、ウェワク残留隊ではそういったことが行われていたという証言はなかったが、

                    遺族の1人で巫女であるという人物が「兄の声が聞こえたんだ!」などとのたまい、

                    「部隊の下の者から殺して人肉として食ったんだろう」などと発言していたのだが、

                    事実からそう遠くない内容を話しているようでもあり、非常に恐ろしく奇妙である・・

                     

                    果たして、この話を聞いてウェワク残留隊で仲間殺しがなかったと誰が証明できるのであろう。

                    本隊のように頻繁に仲間を食うことが行われておらず、彼ら2名のみが最初で最後の人肉になるための

                    隊の犠牲者だったとしたら、「ウェワク残留隊では、仲間を食うことなどなく、敵前逃亡の罪で処刑された」

                    とほとんどの隊員が証言していることも口裏合わせと考えれば、さほど違和感は感じられない。

                     

                    もはや戦争の真実などは何処にもないのかも知れない。

                     

                    なお、奥崎については元上官である村本が処刑を指示したことに憤慨、村本宅を襲撃し

                    応対した村本の息子を改造拳銃で撃ち殺人未遂の罪で実刑を受けている。

                     

                    数々のエピソードからわかるとおり、奥崎は奇人であるだけでなく許されざる犯罪者でもあるが

                    そういった人間だからこそ、皆が口を閉ざしていた事実を少しでも明らかにできたのかも知れない。

                     

                    ドキュメンタリーといってもカメラで撮影する以上、全てがありのままの真実ということはなく

                    映画ではショッキングな内容であるカニバリズムを中心に描かれているが、隊員の処刑についても、

                    マラリヤに罹患していたという証言もあり、本当にただ「最後に美味い物を食いたい」といった

                    理由での敵前逃亡であったこともあり得るだろう。

                     

                    しかしながら、事実が何であれ、本ドキュメンタリーは、文字にすると軽くなってしまいそうだが

                    戦争の悲惨さ、壮絶さを如実に描き出している点は評価されるべきであるし、奥崎でさえも元来狂人で

                    あったわけではなく、これらの恐るべき戦争体験ゆえに過激な反政府活動に傾倒してしまったとしても

                    無理からぬことではないか、と思ってしまいそうになる。

                     

                    今こそ見るべき価値のあるドキュメンタリー映画だった。

                    2018.04.30 Monday

                    『蜂蜜』ユスフ三部作の完結編、繊細な少年時代を描く

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                      本作の冒頭はユスフの父親と見られる男性が木から墜落しそうになる映像から始まる。

                      本編においても一作目、二作目では登場しなかった父親が初めて物語上に登場する。

                      少年時代のユスフは青年期以降と異なり、山の中の自然豊かな場所で暮らしていたようだ。

                       

                      少年時代のユスフはまだてんかんの症状は出ていないようだが、吃音症を患っているようだ。

                      小学校のクラスでは音読ができた子供からワッペンのようなものを与えられるようだが

                      ユスフはなかなか最後まで読むことができない。

                       

                      また、休み時間中も他の子供達が外で元気にボール遊びなどをしているなか

                      大人しいユスフ少年は一人教室に残って、窓から他の子供達を眺めているだけである。

                       

                      ユスフの父親は蜂蜜を採取する仕事をしており、その関係で森深き山に住んでいるようだ。

                      なお、母親は近隣で茶畑の仕事を手伝っている描写がある。描かれている季節では近くの森で

                      上手く蜂蜜が取れなくなったようで、父親は新しく黒崖という場所に蜂蜜箱を設置する考えを家族に話す。

                       

                      ユスフの母親は相変わらず厳しめの人柄のようだが、父親はとても穏やかな人間のようで

                      母親がユスフにミルクを飲むように言うが、ユスフがミルクを苦手にしていることを知る父親は

                      母親が目を離している隙にユスフの分のミルクを一気に飲み干してしまう。

                      家族の関係性と、そのバランス感覚が良く描かれている場面だと思う。

                       

                      ところが、父親は黒崖に蜂蜜箱を設置しにいったまま、何日も戻らなかった。

                      ユスフは同じようにミルクを飲むように母親に言われるが、どうしても飲むことができず

                      母親が見ている前でそのままミルクを捨てようとしてしまい、注意を受ける。

                       

                      しばらくして、山全体で祭りが行われる日になり、ユスフと母親は父親や父親に関する情報を

                      祭りに集まった大量の人々のなかから必死で探そうとする。

                      だが父親は見つからず、ユスフと母親は家に戻り、悲しみに暮れる姿が描かれる。

                       

                      この時、ユスフは健気にも母親の前で一気にミルクを飲み干す。

                      悲しい出来事と、それによる少年の心の成長が垣間見える場面ではあるが

                      こういった強制的な圧力による小さな子供の急成長にはどこか物悲しさが付きまとってしまう。

                       

                      物語はそのまま終わりに近づいていき、最後はユスフが森の木に寄りかかって穏やかな表情で

                      眠りについている描写で、完結を迎えた。

                       

                      全体の感想としては、三部作の二作目までの乾いた土っぽさが伝わるような風景とは打って変わり

                      栄養が多く含まれている瑞々しい土や森の木々が画面全体に映し出されており、生命力を感じるような

                      風景や質感が伝わるような映画となっている。

                       

                      だが、物語全体には仄暗い「死」の空気が横たわっており、特に既に他の三部作を鑑賞済みであれば

                      父親がユスフの青年期以降には登場しないことを知ってしまっているため、どうしても悲しい結末を

                      想像せざるを得ない。

                       

                      自然の生命力に溢れた環境で育ったユスフ少年が経験した、幼少期の悲しい体験が二作目以降の

                      ユスフを形作る原点となったことが想像されるような三作目であった。

                      本作のみでも豊かな自然風景や一人の少年の心情の揺らぎや成長について描かれている美しい映画だと

                      感じたが、やはり三部作全体を通して鑑賞した方がより深みが伝わるのではないだろうか。

                       

                      ただし、三部作のいずれも物語上でわかりやすい説明や解説などは全くなく、また壮大なストーリーが

                      存在するわけではないため、登場人物の心情や、映画で描かれている風景の意味などを推し量り想像しながら

                      ゆっくりと流れる時間を共有体験するように鑑賞することがオススメされるだろう。

                       

                      重厚なシナリオやビビッドな映像美などを目当てに鑑賞する映画ではないことは確かだ。

                      だが、たまにはこういった映画を、これといった目的なく、全体に流れる空気を感じるように

                      鑑賞するのも素晴らしい映画体験だといえよう。

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